6. 現在に至るまでの話(2)

では、中学校PTAはどうだったのかというと、正直よくわかりません。

小学校の時、本部役員したり関わってきた中で、何が変えたくても難しい中、引き継ぎの不備で制度が一つなくなってしまうとか、おかしなことだらけだったので、
中学校ではあまり深く関わらずやり過ごそうと思っていました。

ただ、これだけPTA強制加入とか役員の押し付けが世の中で騒がれている中で、平然と、任意加入を説明しない、加入の意思確認をしないことはどうなのかなって思っていましたし、
一人一つ関わるために無理やり作られたような係の仕事でさえ、「必ず参加してください」「万が一都合がつかない時は、必ずどなたかと交代してください」って書かれた紙が渡されるのが、すごく嫌でしたが、個人的に嫌だから、変だと思うからと言って、変えようとしたり、声を上げるほどの興味もガッツもなかったです。

娘が3年生になった4月、自分の状況が変わりました。
今まで、週5時短家近くの仕事だったのが、転職しました。フルタイム残業あり通勤片道1時間の仕事になり、ここまでは良かったのですが、有給も半年間は無しだったので、受験生の娘の面談などで一回ぐらいはお休みもらっても、それ以外で月1以上の休みは取りにくい、ということは、自分のなかでは委員や10月までの平日の係は無理、、、と思いました。

職場で、環境が整うまでと待たされていて、初出勤に指定されたのがちょうど委員決めの日で、断れませんでした。
これまでは、委員決めでくじ引きに入れられていても、あたったらできる範囲でやればいいしって思っていましたが、今回は困るなと思いました。

委員決めに参加できない保護者は沢山いるので、出欠アンケートのようなものが配られます。よく覚えていないですが、名前と連絡先を書くようになっていたと思います。

PTA本部に、今回くじはひけませんと伝えたかったですが、手紙は配られても担当者連絡先は一切ありませんし連絡しようがなく、アンケートには、欠席だが、今回は委員や係のくじがひけない、と書きました。

全く無視されました。しばらくすると、「あなたは今年〇〇の担当です、必ず参加してください、参加できない場合は、必ずどなたかに代わってもらってください」というお手紙を渡されました。

7月の平日真昼間、全く興味のない高校の説明会参加の「お仕事」でした。

都会に生きるくま

gooブログから引っ越してきました。 日々あれこれ思ったこと、日々の出来事を忘備録的につづる。

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